2016年7月20日水曜日

大橋巨泉の死にちなんで

筆者が学生の頃Jazzにはまっていました。
巨泉はその生き方も含め結構影響を受けた。(浅野さんの前の奥さんマーサ三宅だった)
音楽では糸居五郎(オールナイトニッポン)や中村東洋(NEW MUSIC MAGAZINE)ですかね。
他にも寺山修二、宇野亜喜良、横尾忠則、加納典明居ましたね。
当時はanan(アンアン)、non-no(ノンノ)、POPEYE(ポパイ)、Hot-Dog PRESS(ホットドッグプレス)など輝きを放なつ雑誌も次々創刊されており、現在の低迷する雑誌業界とは違った活気があった。当時の学生運動とはエネルギーの向かう方向が違っていたためどちらかというとノンポリでした。
今思うと懐かしい。オーディオとスキーと原チャはマイブームでした。
一時期代官山に住んでいたので、ジャンジャン、ブラック・ホーク、東急に入っていた紅花(ロッキー青木の店)、宇田川ホール(パチ屋)にもやっかいになっていた。
今回はしばし回顧でした。

※時間割や壁の穴、ディスクユニオン、文化屋雑貨とかもあったな。代官山に行く途中のロシア料理の店とかその向かいの喫茶店、ちょっと奥のトラジャコーヒの店とか切りありません。
代官山にはまだ都営アパート(原宿とほぼ同じ感じだった)があったしノースウエストの女子寮があった。